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2010年08月11日
桃次郎のこと 其の五
家猫として育てたのは深い親心からである。隣がドライビングスクールである。我が家から一歩外へ出れば凶器が走り回っている。
しかし、親の心、子知らずとは人間界だけでは無かった。人間の子供に対してはとうの昔にあきらめていたが、愛猫、桃次郎もまた下等な人間と同じく、親の心配など全く考えずに毎晩無断で徘徊するのである。
今年になって3回目の網戸の張替えをおこなった。アルミの枠にビートというゴムをはめ込んで網を固定するのだが、4.5mmのところを6.0mmの太いやつでガッチリと留め付けた。1枚30,40分かけた自信作は3分で無残な姿に変わる。爪と歯と頭を使って、ものの見事にすり抜けていくのである。最後に、こちらを向いて『ミャー』と歯を出して笑う。
そして、網戸は全部無くなった。
よく見ていると、日中は窓が開いてても出ない。以前はエサが欲しいばかりに、人の目の前で抜け出してオヤツで釣られるのを待ったものである。最近は夜しか出ない。日中は家の中でゴロゴロしてるばかりだ。夜行性の本能に目覚めたのか、暑くて出られないのか、夜しか会えない友達ができたのか、とにかく周りが暗くなると落ち着きが無くなる。
最初は見えなくなるとみんなで心配して懐中電灯とオヤツを持って探し回ったものだ。無事に帰るまで家族は全員起きていた。ほっといても、翌朝には玄関前で元気でいるのを何回か見ると、夜中の捜索はしなくなった。
そして、誰も心配しなくなった。
夜中に何度か帰ってくる。玄関前で首の鈴を振り鳴らすのだ。にゃーとは鳴かないのは、口に自慢の獲物を銜えているからである。それは巨大な蛾である。コガネムシだったりゲンゴロウの時もある。街灯の下に虫が集まるのを覚えた桃次郎は、本来のハンターとしての血が騒ぐのだろう。そして、ハンターの常である自慢げな獲物の披露となる。これが毎晩の外出の理由ではないか。
褒めればますますその気になる、無視しておく。獲物が動かなくなるまでもてあそび、その後はパクッと喰うときもあるし、無残な姿を翌朝さらしているときもある。
そして、誰も抱き上げなくなった。
わたしは重大な決心をした。桃次郎は家猫として育てることを放棄する。
桃次郎は今日をもって外猫として生きていく。