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2010年08月26日
無事「お山」から帰る
24日、月山・湯殿山の登拝を無事に済ませてきました。
午前4時、白衣を着て鈴懸けと山袴に手甲脚半、結い袈裟を掛けて引敷と螺緒を腰に巻き、頭巾を着けて御本尊に出立報告と無事を祈るお勤めをします。
本堂の正面に行中の難除けの幣束を括り付けて出立です。
早朝でゲートの開いてない参拝道路を開けてもらい、湯殿山参篭所のある仙人沢に駐車します。
法螺貝を吹き鳴らしながら、大きな鳥居をくぐって湯殿山神社本宮に歩みを進めます。
まだ7時前だというのに真夏の陽射しが強烈です。日陰を選びながら歩きますが、10分もしないで全身汗だらけです。汗を含んだ衣体が徐々に重くなっていきます。
梵字川沿いの道の途中には悠久の昔より、行者が命がけで臨んだであろう沢山の修行場があります。ある程度の暑さは覚悟してお山に入りましたが、本宮前に着いた頃は盛夏の気温です。しかし、霊気が冷気に繋がるのか緊張のためか本宮の前に立つと汗が引きます。
本宮では既に神官が開門の準備に当たっておられます。挨拶を申し上げ、開門前の本宮に向かって入山のお勤めをします。
いよいよ、月山山頂を目指します。梵字川を上り右に折れて月光坂をゆっくりと進みます。
月山山頂へはたくさんの登山道が整備されております。西川町の志津から登山リフトを使うか羽黒山側から八号目まで車で行って入山するのが一般的でしょうか。
湯殿山本宮から月光坂を登る人はめったにお会いしません。沢水の流れ落ちる大きな自然石が積み重なった急な坂を一歩一歩進みますと、ほぼ垂直に近い崖地となります。ここは以前は鎖場だったんでしょう、今は鉄梯子(最近はステンレス製を奉納されてます)をよじ登ります。足も手も全身を使って、這いつくばって登ります。毎年、ここが一番きついですね。最初の年はどこまで続くのかしらと不安で足がすくみました。
1時間程の急な登坂を終えると、施薬小屋に到着します。ここからしばらくは平坦な尾根を歩きますので、ここまでの緊張が一気に解ける場所なんです。
何年か前にここからすぐの、全く平らな所で足を取られて顔面を打ち付ける大怪我をしました。その時はやむを得ずトボトボと下山して、鶴岡市の病院の口腔外科で口の中を10数針縫って前歯の矯正をしてもらいました。毎年、その場所を通る時はあの痛さを思い出しますし、お山に入ったら緊張感をなくさないようにと心に言い聞かせます。
施薬小屋で暫しの休憩を取り、装束を直して牛首に向かいます。間もなくすると、水のみ場と呼んでる所に着きます。山腹から湧き出す冷たい、冷たい水です。空になったボトルにそれを頂いて、姥が岳との分かれ道まで一気に駈けます。
ここからは、登山者(トレッキングと言うのかな)が沢山いらっしゃいます。トレッキングシューズを履いてTシャツ姿で颯爽と歩いてるのは羨ましいですね。こちらは地下足袋ですから。珍しがって声を掛けられたり写真のモデルを頼まれたりします。アメやお菓子を頂いたりもします。
牛首の稜線を歩きますと下から涼風が吹き上げます。庄内平野が一望できますが、日本海までは見えない程度の薄い雲がかかってます。
ここまで登ると気温は10度近く違うのかしら、下界の猛暑を見下ろしながら緩やかな石畳を順調に進みます。
ほんの少しの真っ黒になった残雪とニッコウキスゲの花を横に見ながら、遠くに鍛冶小屋の跡地の石組みが見えてきた頃から急坂になります。
正式な名称か分かりませんが、私たちは懺悔坂と呼んでます。
「さーんげ、さんげ」 「ろっこん、ざいしょう」
「さーんげ、さんげ」 「ろっこん、しょうじょう」と声を掛け合いながら最後の難所を一歩一歩進みます。
以前にあった、鍛冶小屋という山小屋の跡地前には「お稲荷さん」が鎮座してます。
「南無帰命頂礼懺悔懺悔六根罪障、鍛冶小屋稲荷大明神の一時礼拝」
と宝号を称えてお勤めをします。頂上まではあと一息です。吹き上げる風はますます強くなり、土埃が舞い上がる前方に月山頂上の社殿が見えてきます。
何回、お山参りをしても、この瞬間が最高です。
ある時は真っ青な空の下に威風堂々と社殿が現れ、ある時は雲の切れ目に現れ、ある時は濃い霧の中にぼんやりと浮かび、またある時は嵐の中手探りで触るまでその場所が分からないこともあります。
お払いを受けて山頂神社で「大慈大悲月山権現の一時礼拝」の宝号を称えて勤行。
山頂山小屋で休憩と昼食を取って一息つきます。これも恒例ですが、この山小屋のなめこ味噌汁を頂くんですが、汗をかいた後の塩分は身体に染み渡ります。修行でなければ缶ビールを頂くところですが・・・。
午後になると雲の量も増え、風も強くなって気温も20度を大きく下回ってきます。汗が引いて寒さを感じるほどになりましたので、同じ道を引き返し、湯殿山本宮に向かいます。
登り終えての安堵感で緊張の糸が緩むと怪我の元です。下りといえども一歩一歩確実な歩みで進みます。
やっとの思いでよじ登った月光坂の鉄梯子を下りきって、湯殿山本宮に着いたのは4時前です。
湯殿山神社は本殿も拝殿もありません。言わず、語らずの御神体ですのでここでもこれ以上触れません。
お払いを受けて門をくぐり、ご宝前でお勤めをさせて頂きました。神官がお唱えする三山拝詞の一部だけご紹介をします。
「綾に綾に奇しく尊と 湯殿山神の御前を拝み奉る」
「あーやに、あーやに くすしく、とおおと ゆどのの みやまの みまえを おーがみまーつる」
本宮をあとにして、仙人沢まで最後の歩きです。一般参拝者用の最終バスが横を通り過ぎ、誰もいなくなった駐車場に到着です。
ゆっくりしてると参拝道路のゲートが閉まるので着替えることなく湯殿山ホテルまで下がり、ようやく汗で重くなった装束を着替えました。本来は出立場所の御本尊に到着の報告をするまでは衣体を解かないのですが、今日はお許しを頂いて、西川町の道の駅に併設されている温泉に浸かって汗を流してきました。
御本尊に、満行と無事帰山の報告の勤行をして午後8時長い一日が終わりました。以前は、何日間の精進潔斎の前行をして、二日も三日もかけてお山に入り、帰ってからも後行をして普通の生活に戻ったそうです。今の世の中では、一日だけでも大変です。
もう、20年近くなるでしょうか、毎年お山にお参りしています。還暦までは続けたいと思っています。
両足がパンパンに張ってやっと歩いてますが、来年のお山が楽しみです。
語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな
雲の峰 幾つ崩れて 月の山 芭蕉
2010年08月23日
初秋を感じる
お盆休暇開けの朝礼スピーチテーマは”初秋を感じる時”です。
今朝は、S専務が当番でしたが「初秋を感じることはありません」の一言から始まりました。
お盆はいろんな人と会う機会が多くなります。みなさんは異口同音に
「今年の夏は参りました」
「生まれて初めて夏バテを経験しました」
そして「九十過ぎの年寄りも初めてのことだそうですよ」
このあたりは、7月末の梅雨明けから8月13日のお墓参りまでの半月ぐらいを夏と呼んでましたが今年は梅雨明けから一ヶ月を過ぎても盛夏のままです。
二十四節気ではとっくに立春を過ぎ今日が処暑です。二十四節気は多少の季節の先取り感はありますが、そんなに実際とは違いがありません。
処暑・・・・老陽日々に衰え、秋陰の気増長し、暑気退かんとする処の義。
涼風吹き来たり、暑気おさまるを知る。
いつもの年はこの通りなんですが、今年は暑気払いのビールの量が当分減る見込みがありませんね。
ある方は、「今年を異常と考えるな。来年からは、これが通常となる。」と言われてました。
エアコンのない生活を五十数年続けてきた身体には、これが常というのは相当きついですな。
明日、出羽三山の月山と湯殿山を登拝します。毎年この時期にお山を駈けるんですが、この暑さが心配です。日頃のおこないも悪いしね・・・無事に行を終えて帰りましたら報告します。
2010年08月11日
桃次郎のこと 其の五
家猫として育てたのは深い親心からである。隣がドライビングスクールである。我が家から一歩外へ出れば凶器が走り回っている。
しかし、親の心、子知らずとは人間界だけでは無かった。人間の子供に対してはとうの昔にあきらめていたが、愛猫、桃次郎もまた下等な人間と同じく、親の心配など全く考えずに毎晩無断で徘徊するのである。
今年になって3回目の網戸の張替えをおこなった。アルミの枠にビートというゴムをはめ込んで網を固定するのだが、4.5mmのところを6.0mmの太いやつでガッチリと留め付けた。1枚30,40分かけた自信作は3分で無残な姿に変わる。爪と歯と頭を使って、ものの見事にすり抜けていくのである。最後に、こちらを向いて『ミャー』と歯を出して笑う。
そして、網戸は全部無くなった。
よく見ていると、日中は窓が開いてても出ない。以前はエサが欲しいばかりに、人の目の前で抜け出してオヤツで釣られるのを待ったものである。最近は夜しか出ない。日中は家の中でゴロゴロしてるばかりだ。夜行性の本能に目覚めたのか、暑くて出られないのか、夜しか会えない友達ができたのか、とにかく周りが暗くなると落ち着きが無くなる。
最初は見えなくなるとみんなで心配して懐中電灯とオヤツを持って探し回ったものだ。無事に帰るまで家族は全員起きていた。ほっといても、翌朝には玄関前で元気でいるのを何回か見ると、夜中の捜索はしなくなった。
そして、誰も心配しなくなった。
夜中に何度か帰ってくる。玄関前で首の鈴を振り鳴らすのだ。にゃーとは鳴かないのは、口に自慢の獲物を銜えているからである。それは巨大な蛾である。コガネムシだったりゲンゴロウの時もある。街灯の下に虫が集まるのを覚えた桃次郎は、本来のハンターとしての血が騒ぐのだろう。そして、ハンターの常である自慢げな獲物の披露となる。これが毎晩の外出の理由ではないか。
褒めればますますその気になる、無視しておく。獲物が動かなくなるまでもてあそび、その後はパクッと喰うときもあるし、無残な姿を翌朝さらしているときもある。
そして、誰も抱き上げなくなった。
わたしは重大な決心をした。桃次郎は家猫として育てることを放棄する。
桃次郎は今日をもって外猫として生きていく。
2010年08月10日
海といえば・・・
ブログをご無沙汰してる間に、朝礼のスピーチテーマも何回か変わりました。今は「夏の食べ物」がテーマです。
その前は、「海といえば・・・」でした。
この辺に生まれ、住んでる人は老若男女を問わず、海が見えると『ワー』っと歓声を上げます。海沿いに住む人からは想像ができないでしょうが、何世代にも亘って『海』を憧れ続けたDNAが騒ぐのでしょう。
やはり、多くの社員は初めて海を見て、入ったことを強烈に覚えてるみたいです。子育ての間は毎年渋滞の中を西に100キロメートル若しくは東に100キロメートル、海を目指して過酷なドライブをしたもんです。
社員がそんな思い出を語る中、わたしは「水族館」について話し始めました。案の定、時間が長くなり、社員の、あからさまに嫌がってる雰囲気を感じて中断しました。喋りたいことがまだあるのです。
海が生命の母とよく言われます。われわれの祖先も原始の海で生まれ、進化の結果として今、こんな風にパソコンに向かってるんでしょう。海を見たり、まして海の生物が泳ぐ姿を見ると無意識の懐かしさと親近感が湧いてきます。わたしは水族館が大好きです。
全国にいくつあるんだろうと調べてみたら、人口あたりで日本が世界一なんですね。ぐるっと海に囲まれてますから当たり前かと思ったら、海に面してない長野、山梨、埼玉、栃木、群馬にもあるんですよ。みんな海には憧れてるんですね。
近いところは結構見てます。アクアワールド大洗とか鴨川シーワールド、八景島シーパラダイスなんかも足を延ばしていますが、新潟のマリンピア日本海と福島のアクアマリンふくしまがホームグランドかしら。特に「アクアマリンふくしま」がいいですね。建築物としてもいいですし、大型水槽の小魚の群泳もいいし、周辺環境もいいですよ。道路が良くなって、二時間も走れば見に行けるようになりました。市場をうろついて、海鮮丼を食べての日帰りのリフレッシュには最適です。
大きな水槽で悠々と泳いでる魚や、見事な泳法を見せるイルカなどの海獣と呼ばれる動物たちを見てますと自在に水中を泳ぎ回りたいと思いますな。しかし、わたしは水が苦手です。カナヅチです。
何億年もかけて、祖先がやっとの思いで水中から陸上へと生活の場所を変えてきました。魚類から両生類、爬虫類を経て哺乳類と進化したと聞いています。水の中を自由に泳ぐ人はうらやましいですが、陸上生活に進化したことに逆行してるのか、進化が不十分なのか、進化を途中で放棄した人の子孫なのかしら・・・こんなことを考えてると悔しくもないですよ。
また、話しの方向がずれてきました。四海静謐(しかいせいひつ)を祈ります。
2010年08月09日
友人からのメール
1972年(昭和47年)7月7日に長期政権を担っていた第63代の首相、佐藤栄作から第64代首相として田中角栄に政権が移行した。
政治に興味を持ち始めたこの頃、高校に入った。
県立の工業高校なので全国からとはいかないが、近隣の市町村から建築家になろうと志の持って(?)集まってきた同級生の中に歴史を動かしたこの二人の政治家の名前を足して二で割ったような名前の奴がいたのである。どのように割ったかは説明を省くが、我々の世代にはとにかくインパクトの強い名前であった。
そんな訳で彼との出会いは15歳の春である。以来、40年ほどの月日が流れたが、わたしの人生の中では特筆すべき友人である。当時から、お調子者のわたしに対し彼は緻密な思考力を持つ勉強家、努力家であった。クラスの中でも両極にある二人が親しく語り合う姿は他のクラスメイトからは奇異に映ったかもしれない。
卒業後も途切れない程度であるが親交を保っている。
その彼からメールが届いた。このブログについて3点である。
1、だいぶ前になるが、サッカーW杯の試合数を書いた件。予選リーグの試合数を間違えている事と三位決定戦があるので16チームが進出する決勝リーグでは16試合おこなわれる事。・・・いやあ、まったくです。元々、わたしは思い付きと時の勢いで生きてきたようなものですから・・恥ずかしい限りです。情報は聞き流し、垂れ流しのご時世にわざわざご指摘と訂正を頂いた旧友に感謝です。
2、桃次郎はアメリカンショートヘアと認めていただける件。・・・ありがとうございます。
3、「四つ葉の会」入会申し込みの件。・・・第一号会員として登録させていただきました。
友とはありがたいもんです。冒頭に「建築家を目指して」集まった同級生と書きましたが、その当時から今まで「建築家」であろうとしているのは彼だけかもしれません。
「建築は文化である」が彼の口癖である。
「建築は経済だよ」と憎まれ口をたたきながら飲み交わす酒は最高に美味い。
建築談義をする貴重な時間をこれからも持ちたいものだ。
2010年08月07日
ご無沙汰以外の言葉が見つかりません
ゲゲゲの女房を飛び飛びですが見てます。
『妖怪いそがし』が私に憑依してたみたいです。
この妖怪に限らず、「魔がさす」とか「とりつかれる」いうのは自分の心が作り出すもので他に原因を求めるものではありません。
この二週間、書きたいことが色々とありました。
①桃次郎のこと 其の五・・・外猫として生きる
②海といえば・・・水族館
③貴重なご意見をいただいたこと・・・40年来の友人からのメール
④土用の丑の日も節分の恵方巻きも年4回あること
⑤「四つ葉会」会務報告
⑥歯痛との闘い
⑦ビアガーデン連日です
⑧・・・・・・・・・・の件
これからは毎日更新しますよ。お楽しみに。
すみません、ちょっと忙しいので続きは後で・・・・さがえ専務